ワインを飲むという事

昔は背伸びをして、いいワイン、高いワイン、知名度のあるワイン…そんな物ばかり飲みたがっていた気がする。

一時は、ソムリエールになろうとさえ考えて勉強もした。

ま…有名どころのソムリエ学校に無理矢理入ったせいで、仕事と両立出来なくて、退学になってしまったのだけれど(汗)

 

しかし、私にワインを愛する気持ちを教えてくれたのは、たった一人のバーテンダー

今は胸に金色の葡萄のバッチを付けているけれど、当時は何も持っていなかった。

郊外の名も知られていない小さな町の駅の片隅で小さなBARを始めたばかりだった。

マホガニー色の艷やかなカウンターの席数は10席程。背面にも席はあるけれど、壁を見ながら酒を飲む人間はここにはほとんどいない。

いつも常連が絶えず、時間に合ったJAZZが閉店まで流れ続ける。

私はこの店で色々な物を飲んだ。

もちろんカクテル、シングルモルト、焼酎、クラフトビール、日本酒、コーヒー、紅茶、中国茶…そして、ワイン。

この店の事を書き始めたら、きりがないので、話をワインに戻そうと思う。

 

少し話は逸れるけれど、私は少しの間だけ銀座で夜働いていた時期がある。

その時、お客さん達は、こぞってロマネ・コンティやムートンを開け私にも飲ませてくれた。

もちろん、どれも素晴らしいワイン達だった。

でも、確かに美味しかったし、今でも香りや味を思い出せそうな印象が残っているのに…

私にとって一番大切な『また飲みたい!』と渇望する気持ちが殆ど起こらない。

今私が渇望するワインは、あの時、あのマホガニー色のカウンターで、小柄なマスターと飲んだバルベーラダルバであり、友人とバカ騒ぎしながら飲んだアルザスだ。

時にはお財布の中身が乏しい生活をしている中、恋人と“ほんの少しの贅沢”を楽しみたくてXmasに用意したバローロの味は忘れられない。

ドメーヌも、年数も、エチケットさえも忘れてしまっているけれど、アロマもテイストも鮮明に覚えていて、もう一度探したい数々だ。

よく、ワインを一緒に誰かと飲むと「〇〇地方のワインだ!」とか「〇〇の何年がいい」とか話しながら飲まれる人がいる。

私も若かりし頃はそんな事に拘っていたと思う。

でも。私のワインを飲むという事は…

ただただ、何も気にせず口に運んだ時、信じられないほど美味しいと感じるために飲むもの。

一緒に飲む人や、状況でいくらでも味が変わってしまう飲み物。

産地も、造り手も、年数も…ましてや値段も関係ない。グラスに注いだ瞬間からワクワクして、口に入れた瞬間感動する。

それが、私のワインの飲み方。

そんなワイン達は、貴方の中にありますか?